Happy End への道

 炎が燃える。怒号が響く。剣の打ち合う音。血の臭い。
『カトリーヌ様はご無事か!?』
 そう叫ぶ。その叫び声も喧騒に飲み込まれ消えていく。
 切り結ぶ相手はこの辺りの農民たちだ。長年、重税に苦しんできた彼らの怒りは領主の屋敷を前にして頂点に達した。領主に雇われた兵士たちだけでは、なだれ込んでくる彼らを止めることは不可能だ。
 しかし、フェルディナンは引くわけにはいかなかった。
 この門を突破されれば、領主の妻たるカトリーヌも暴徒たちの手に落ちる。彼女は元々農民の出でフェルディナンの幼馴染だが、その美貌を見初められ玉の輿に乗った。玉の輿と言えば聞こえはいいが、人身御供と同じ。フェルディナンたちの村の税を少しでも軽くしてもらうために差し出された美しい生贄。しかし、暴徒たちはそんなこともお構いなしに領主の妻だというだけで、カトリーヌへも怒りの矛先を向ける。
 そうはさせない。そんなことはさせない。カトリーヌを守る。その一心で剣を振るう。無駄な足掻きだとわかっていても。
『カトリーヌ様……』
 今、彼女は侍女たちに守られ屋敷の中にいる。どれほど心細い思いをしているだろうか。どれほど不安だろうか。
 彼女を傍で支えたい。今だけではない。本当はずっとずっとそう思ってきた。叶えられることのないこの思い。
 屋敷に火が放たれた。そちらに意識が向いたその瞬間、腹に熱いものを感じた。立っていられなくなり地に膝をつく。
 薄れゆく意識の中でフェルディナンは思った。

 ああ。
 この身が女であれば、彼女と共にあれるのに。

 ああ。
 この身が女であれば、彼女と共に果てることができたのに。



 ピピピピピ。目覚ましの音で目を開ける。木田ありすはベットの上に半身を起こし、そのまま両手で顔を覆ってすすり泣いた。
「カトリーヌ様……」
 幼い頃から、ありすは自分の前世の夢を繰り返し見ていた。前世の姿はフェルディナンという男。幼馴染のカトリーヌと結婚の約束をしていたところを領主に阻まれ、挙句の果てにはその領主の館を守るために命を捧げた男だ。
 ありすの中にフェルディナンの意識はない。あるのは彼の記憶だけだ。ありすはその記憶を夢という形で見てきた。
 今日見た夢はフェルディナンの最後の記憶。この夢を見るのは512回目ぐらいだが、ありすは今日の夢は嫌いだった。
 何故なら。
「カトリーヌ様が出てこなかった……」
 ありすは、指でそっと涙を拭った。
「フェルディナンも気が利かないわね。私はあんたなんかどうでもいいのよ。カトリーヌ様を見せなさいよ。もう……」
 ベッドから降り、姿見に全身を映す。髪の長い小柄な高校生の女の子がそこに立っていた。愛する女性のために命を捧げた武骨な男の面影は当然ながらどこにもない。
 ありすは鏡に向かって微笑んだ。鏡の中の女の子が可愛らしく微笑む。
「よし、今日も可愛い」
 ガッツポーズ。
 自分がこうしているのだ。きっと、カトリーヌ様もどこかで生まれ変わっているに違いない。絶世の美女で気品高く優しいカトリーヌ様は、幼い頃からありすの憧れだった。そんな彼女に相応しい人間となるために、ありすは小さい頃から自分を磨いてきた。流行のファッションは常にチェックしているし、自分に似合うメイクの研究に余念はないし、学校の成績だって常に10位以内、カトリーヌ様を守るため習い始めた合気道は8年目だ。
「カトリーヌ様、待っていてくださいね! 木田ありすがすぐにお側に参ります!!」
 お側にいるに相応しい女性になるため、今日は髪にパーマをあてる。駅3つ向こうの繁華街にある有名美容院をすでに予約してある。
 階下から、ご飯ができたと呼ぶ母に返事をして、ありすは着替えを始めた。



 美容院の帰り、ありすはウインドウショッピングを楽しんでいた。時折、ゆるくウエーブのかかった髪に触っては笑みを浮かべる。初めてあてたパーマは満足のいくものだった。足取りも軽く、ありすは店から店を巡り夏物を物色する。服の方は、残念ながら気に入るものがなかった。
 5軒目の店を出て、何気なく顔を上げたありすの目が一点に吸い寄せられる。そこにいる人物。シネコンの前の噴水に腰掛け、誰かを待っているようだ。
「あれは……」
 大きく目を見開いて、ありすは足を止めた。体が小刻みに震える。
 間違いない。この自分が間違えるはずがない。
「カトリーヌ様ぁ!!!」
 叫ぶと同時に、カッカッカッとヒールを響かせ走った。驚いたようにこちらを見たその人物に飛びつき、腕を掴んで揺さぶる。
「カトリーヌ様! お会いしとうございました。ああ、カトリーヌ様! これからずっと私がお側にいますからね!」
「ええっと」
 低い声が頭の上から降ってきた。思わず、ありすは揺さぶる手を止める。そういえば、掴んだ腕もやや太くしっかりしている。
「これ、新手の逆ナンかな?」
 恐る恐る視線を上げる。短く刈られた髪、広い肩幅、太い喉元。ありすは卒倒しそうになった。

 カトリーヌ様は男性に生まれ変わっていたのだ。

「……これはないわ」
「いや何が?」
 地面に泣き崩れるありすにカトリーヌ様の生まれ変わりである男性が問いかける。ありすはその男性を見上げる。じっくりと上から下まで検分し、拳を握った。
「でもイケメンだから、それはそれでよし! さっすが、カトリーヌ様!」
「うん、よくわからないけど立ち直り早いね。いいことだ」
 立ち上がったありすは服の裾を払い、とびっきりの笑顔を浮かべた。
「初めまして、カトリーヌ様。木田ありす、高1です」
「ああ、どうも。島津輝善、同じく高1です。テルヨシくんでも、テルくんでも、好きなように呼んでください」
「カトリーヌ様、私、あなたに相応しい女性になれるように頑張ったんです」
「うん、とりあえず人の話を聞こうか。友達はみんなテルって呼ぶし、もうこの際呼び捨てでもいいよ」
「パーマあててみたんです。どうですか?」
「うん、可愛いよ。好みにドンピシャだよ」
「本当ですか! 嬉しい! カトリーヌ様には及びませんけれど、お側にいられるような女性になるため、これからも頑張りますね」
「だから、ありすちゃん、ちょっと待って」
 両手で言葉を遮り、輝善は言った。
「カトリーヌ様って誰?」
「え……?」
 ありすは呆然とした。
 呆然としながら輝善を指差す。
「いやいやいや。オレは男だから。カトリーヌ様じゃないからね」
「でも、前世ではカトリーヌ様だったんです」
「前世か、そうか。うん、それはもうわかったから。その話はちょっとおいとこう」
「本当なんです。本当にカトリーヌ様なんです! 三国一の美貌の持ち主のカトリーヌ様なんです!」
「うん、わかった。でも、たとえ前世が絶世の美女のカトリーヌでも、今のオレは島津輝善だ。ありすちゃんも前世はフェルディナンみたいな男だったけど、今は可愛い女の子だろ。それと一緒だ」
「でもカトリーヌ様!」
「ああ、もう!!」
 輝善はありすの口を片手で塞いだ。そして顔を近づけ諭すように言う。
「さっきから周りの視線が痛いんだ。オレが女装趣味のある男みたいに思われるだろ。ちょっと黙ろうな」
 ありすは頷いた。輝善は手を放すと口の端を上げて言う。
「どこか店に入ろう。話の続きはそこで」



 十数分後、二人は近くのオープンカフェで向かい合っていた。
 ありすは語った。カトリーヌとフェルディナンの幼き日の思い出、カトリーヌが領主に見初められた日のこと、フェルディナンが領主に仕えるまでのいきさつ、そして領主の屋敷が暴徒たちの手に落ちた日のこと。何せ幼い頃から繰り返し夢で見ているのだ。話題には事欠かない。
 輝善は頷きながらそれを聞いていた。途中、頼んだコーヒーが空になったのでお代わりをした。輝善が二杯目のコーヒーを飲み干す頃、ありすは思い出話を終え、カトリーヌがいかに素晴らしい女性だったかを語っていた。
「ありすちゃん、ちょっといいかな」
「はい? 何ですか、カトリーヌ様?」
「うん、まあ、それはもう諦める」
 輝善は頭をかいて続けた。
「カトリーヌ様の話はもうわかったよ。オレの前世が、まあ、そのカトリーヌ様だとして、ありすちゃんはこれからどうしたいの?」
「え?」
 ありすは目を瞬かせた。
「お側にいたいです」
「オレの側に?」
「カトリーヌ様の側に」
「あのさ、オレは男なんだ」
「それはもう諦めました」
「そこは諦めるな」
 再び頭をかいて、輝善は言う。
「カトリーヌ様の側にいる。それって、ありすちゃんの前世の望みだろ。ありすちゃんがそれに従うことはない」
「私は……」
 輝善の目を見てありすは言った。
「私はフェルディナンの望みを叶えたいわけじゃないんです。フェルディナンなんて正直どうでもいい。私が、木田ありすがカトリーヌ様の側にいたいんです」
「そうか、わかった。なら言おう」
 空になったカップを手の中で転がしながら輝善は告げた。
「カトリーヌはこの世にもういない」
「……」
「ありすちゃんの言ってるカトリーヌはオレみたいな男じゃないんだろ。オレの前世の姿なんだろ。だから、カトリーヌは、もういない」
 ありすは瞬きをしてゆっくりと俯く。今日パーマをあてたばかりの髪が顔にかかった。
 にぎやかだったテーブルに沈黙が落ちた。それを破ったのは、輝善の携帯の着信だ。
「はい、もしもし? 良子、どうした? ああ、映画? いや、オレは待ってたよ。時間に遅れてくるお前が悪い」
 それから二言三言喋り、輝善は電話を切った。ありすは顔を上げ輝善を見た。
「彼女さんですか?」
「女友達」
「映画、待ち合わせてたんですよね。邪魔しちゃってすみませんでした。では」
 バックを手に、ありすは立ち上がる。輝善はその腕を掴んで止めた。
「どこに行く?」
「帰ります」
「いやいや、こっちの話はこれからなんだけど」
「どうしたらいいのかわからないんです」
 暗い声に輝善は黙った。
「ずっと、カトリーヌ様が一番だったんです。カトリーヌ様のためにいろいろやってきたんです。でも、カトリーヌ様がいないってわかっちゃったら、これからどうしたらいいのか、わからないんです」
 本当は、ありすだって薄々気づいてはいたのだ。たとえ転生していたとしても、その姿、記憶、心はカトリーヌそのものではない。ありすだってフェルディナンと同じではないのだから。
 けれど、幼い頃から培われた憧れは、いつの間にかありすの全てを支配していた。、カトリーヌ様に会っても恥ずかしくない人間になる。そのために生きてきた。けれど、その思いは誰からも認められることなく消えてしまった。これから、何を頼りにしていいのか、ありすにはわからなかった。
 輝善の携帯が再び鳴った。彼がそちらに気をとられた隙に、ありすは彼の手を解いて歩き出す。
 オープンカフェから出て人ごみの中に紛れ込む。足取りは重く、人にぶつかった拍子に小柄なありすは転んでしまった。涙が滲むがそれを振り払う。
「こんなことで泣いてちゃ、カトリーヌ様に……」
 いつもの口癖。
 ありすの目から更に涙がこぼれる。どれだけ我慢したって、どれだけ頑張ったって、もう意味がないのだ。
 だって、カトリーヌ様はいないのだから。
 鼻をすすり上げ、立ち上がる。そして気がついた。手に持っていたはずのバックがない。慌てて辺りを探すが見つけることはできなかった。
「うそ、どこに……」
 辺りを見回しながら走り出す。三つ目の細い角を曲がった先で、二人組の男が小声で話し込んでいた。男の一人が持っているのは紛れもなく、ありすのバック。
「ちょっと、それ返してよ!」
 二人の男は驚いたようにこっちを向いた。次の瞬間には二手に分かれ、別の方向へ走り出す。
「待ちなさいよ!」
 ありすはバックを持っている方の男を追った。しかし、男の足は速い。ありすはヒールを脱ぐと男に向かって思いっきり投げた。
「返せ、泥棒!」
 ヒールの靴は男の背中に命中した。立ち止まった男は怒りの形相で振り向く。
「このガキ!!」
 男がありすの方に向かってくる。その剣幕に、ありすは思わず怯んだ。
 その時。
「ありすちゃんはお転婆さんだな」
 その声と共に、輝善がありすを追い越し男に向かっていく。危ない、と叫ぼうとした瞬間、男の腕をとった輝善は綺麗な背負い投げを決めた。痛そうな音がして男は動かなくなる。転がったバックを拾って埃を払い、輝善はありすに差し出した。
「はい、どうぞ」
「カトリーヌ様……」
「違う違う」
 輝善は笑って言った。
「島津輝善だよ、ありすちゃん」



 交番でお礼を言われた輝善は、簡単な事情聴取を受けたありすと共に駅に向かって歩いていた。小柄なありすがさらに身を小さくするようにしてバックをしっかりと抱えている。
「柔道をやってたんですね」
「うん。帯は黄色なんだけどね」
「本当にありがとうございました」
「お安い御用だよ。こういう時のために、小さい頃から柔道をやってるんだから」
「私も、合気道やってるのに全然役に立たなくて……」
「仕方ないよ、女の子なんだから」



『フェルディナン! フェルディナン!』
 燃える屋敷の中で声の限りにカトリーヌは叫ぶ。領主はカトリーヌを置き去りにしてとっくに逃げ出した。屋敷に残った数少ない兵たちも皆、暴徒の手にかかった。その中には、カトリーヌが心から愛するフェルディナンも含まれている。
『フェルディナン、ああ……』
 小さい頃から慕ってきた相手。いつもいつも近くにいて守ってくれた。
 その彼はもういない。
 カトリーヌの目に燃え盛る炎が映った。ふらりと業火の中へ歩を進める。

 ああ。
 この身が男であれば、彼と共に戦えたのに。

 ああ。
 この身が男であれば、彼の隣で果てることができたのに。



 小さい頃から繰り返し見る夢。それを思い出し輝善は空を仰ぐ。
 カトリーヌはずっとフェルディナンを愛していた。男となってフェルディナンと共に戦いたかった。そんな彼女の思いを知って、輝善は柔道を習い始めた。いつかフェルディナンの生まれ変わりと出会ったら、共に戦えるように、と。
 しかし、フェルディナンの生まれ変わりは可愛らしい女の子だった。一途にカトリーヌを慕う可愛らしい女の子。
 けれど、それでは駄目なのだ。ありすがカトリーヌを見、輝善がフェルディナンを見ていては、そこから何も生まれない。カトリーヌもフェルディナンも、もういないのだから。
「ありすちゃん、今度はカトリーヌ様じゃなくて君の事を教えてよ」
 驚いた顔でありすはこちらを見る。その仕草が可愛くて輝善は笑った。
「オレは君のことが知りたい。いいかな?」
 一目見た瞬間から、輝善はありすに惚れてしまった。
 カトリーヌとフェルディナンの記憶が繋いだ縁だが、今度は悲劇で終わらせない。そう決めて、輝善は彼女の手をとった。
 ありすは嬉しそうに微笑む。
「私もあなたのことが知りたいよ、島津くん」