見知らぬ浪人

 見知らぬ浪人がいる。そんな噂を聞きつけて、千代は村外れまでやってきた。武器代りの心張り棒を握り締め、村の中を闊歩する。周囲は同情の目が半分で、あとの半分は目を合わせない。構っていられないと千代は視線を跳ね返し、教えられたとおり村の東の外れへ出る。そこには目指していた人影がいた。
 笠をかぶった着流し姿で腰には刀。男にしてはやや華奢な体つき。この辺りでは見かけない姿であり、だからこそ浪人が千代の探す人物である可能性が高いのだ。
 浪人は街道へ出る抜け道にさしかかっている。千代は心張り棒を握りなおすとその背中へ突進した。
「姉の仇! 覚悟!」
 しかし。背中へ思い切り突き出したはずの心張り棒は空を切り、千代はたららを踏んだ。ひらりと身をかわした浪人はこちらへ向き直り首を傾げた。
「仇と狙われる心当たりは多いが、お前さんは初めて見る顔だね」
 千代は心張り棒を構え直し思いっきり振り下ろした。またもやかわされ心張り棒は地面を叩く。すっと浪人が千代の足を払い、千代は尻餅をついた。
「見たところ素人のようだが、村の娘さんにしてはお転婆が過ぎるな」
 せっかくの武器を落としてしまった。浪人が心張り棒を拾い上げる。地面に座り込んだまま千代は笠で隠れた浪人の顔をキッと睨んだ。
「あんたがやったんでしょ。わかってんのよ。姉さんが、この辺で見ない若い浪人と歩いていたって噂を聞いたんだから。姉さんをおもちゃにして、飽きたから殺したんだ! そうに決まってる!」
「殺したとは穏やかではないな」
 心張り棒を道の反対側へ転がし、浪人は千代の前に片膝をついた。そうして笠をちょいと上げる。
「どうだい娘さん。この顔が飽きた女を殺す顔に見えるかい?」
 千代は何度も瞬きした。ポカンとしてその顔を見つめる。
 その顔は紛れもなく女性のものだったのだ。



 静流と名乗ったその女性は人を探して旅をしているそうだ。女の一人旅は何かと物騒なので男の姿をしているという。
「紛らわしいったらありゃしないわ」
 ブツブツと文句を言いながら、千代は立ち上がり裾を払う。静流は面白そうに目を細めた。
「男を探しているのかい?」
「浪人を探しているの。姉さんの、仇なのよ」
 二親を早くに亡くした千代にとって、年の離れた姉の千絵は母でもあった。
 姉は村一番の美人であった。近所の男たちのみならず、名主さまの息子や隣の村からも付文が届いていた。見目がよいとは決して言えない千代にとって姉は自慢であった。
 あの日、姉は一人で出かけていった。隣の村に行ってくるわ。千代、何か買ってくるものはないかしら?
 日が暮れるまでには戻ると言っていた。けれど、次の日も、その次の日も姉は帰ってこなかった。次に会った時はもう姉ではなかった。川に浮かんでいたせいで腐乱が進み、美しかった姉の顔は見る影もなかった。

 許せない。
 姉さんをあんな目に遭わせたのは誰なのだ?

 周りの皆は、運が悪かったと思って諦めろと言った。諦める? 何を? 姉はあんなに惨たらしい殺され方をされたのに。
 ポツポツ話す千代の言葉を静流は黙って聞いてくれた。
「なるほど、それで姉の仇か」
 千代は頷き立ち上がって心張り棒を拾い上げる。その背中に静流が声をかけてきた。
「その浪人とやらを探すのかい?」
 姉を殺した相手の手掛かりは少ない。千代が知っているのは「見知らぬ若い浪人と歩いていた」という噂だけだ。それでも。
「あたしは絶対に仇をとる。姉さんのために仇をとってやるんだから」
「仇討ちなんてやめなよ、お嬢さん」
 千代はキッと静流を睨んだ。静流は全く動じずにその視線を受け止める。
「本当に姉さんのためを思うなら、危ないことはせずにお前さん自身が幸せになるんだ。それが一番の供養だよ」
「わかった風な口をきかないで」
「今のお前さんは、何もできなかった自分の無力を悔いてるだけさ。それを姉さんのせいにしちまうのは、可哀想な話じゃないか」
「わかった風な口をきかないで!」
 千代は心張り棒でドンと地面を叩いた。
「あんたに何がわかるのよ」
 誰も千代の気持ちなんてわかってくれなかった。同情はしてくれた。不憫だねえと言ってくれた。だけど、姉さんを殺した犯人を捜すと千代が言うと、首を横に振るのだ。
 本当に悲しんでいるのは自分しかいないのだと千代は思い知った。だから自分がやるしかない。
 静流が口を開く前に、千代は踵を返し家に向かって歩き出す。静流は追ってはこなかった。



 ため息をついて家の戸を開ける。敷居をまたぎ、ふと顔を上げてドキリとした。家の中に人がいる。
「なんだい、ずいぶん貧相なガキじゃないか」
 男が三人。真ん中の男には見覚えがあった。村の名主さまの一人息子の元太郎。
「何の、御用ですか?」
 心張り棒を握る手に力が入る。掌に汗をかいていた。元太郎はゆったりと顎を撫でた。
「千絵の妹というからもう少し見れるかと思ったが、期待はずれだったね。まあいいさ、連れて帰ろう。おいお前たち」
 元太郎の両脇にいた男たちが千代に近づき無理やり腕をつかんだ。心張り棒も取り上げられて、丸腰となった千代は男二人に無理やり外に連れ出される。
「いや、離して! 何するんです!」
「恨むんなら姉さんを恨むんだね」
 続いて家から出てきた元太郎の言葉に、千代はハッとして顔を上げる。
「千絵があんまりつれないのが悪いんだよ。おまけに、隣の村の男と好い仲になったというじゃないか。正直面白くはなかったね」
 好い仲? 姉さんが? 初めて聞く話に千代の頭の中は混乱する。
「ちょっと問いただしたらコロリといってしまうんだもの。いやいや、ビックリしたよ、あの時は」
 混乱していた千代の頭が真っ白になった。恐る恐る元太郎を見上げる。
「まさか、あなたが姉さんを?」
「千絵が悪いんだよ。私の付文を無視なんかするから」
 元太郎は薄く笑ってそう言った。
 千代の心臓が早鐘のように打つ。そんなこと。そんなことって。
「浪人は? 姉さんがあの日見知らぬ浪人と歩いていたって噂が……」
 元太郎は、はてと首を傾げる。
「浪人の噂なんて聞いたことないね」
「でも、みんなそう言って……だから、その浪人が姉さんを殺したんだってあたし……」
「みんな? 誰が言ったんだい? それにおかしいね、こいつらが千絵を川に流すところは村の連中に見られちまったから、てっきりお前さんも知ってるのかと思ってたよ」
「え?」
 千代は呆然とした。村のみんなが知ってた? それなのに、千代には「見知らぬ浪人と一緒に歩いていた」と言ったのか。
 辺りが静かだと千代は思った。近所の家の戸は固く閉じられている。ああ、そうかと思った。相手が名主さんの息子だからだ。名主さんの一人息子の元太郎さんだからだ。
 千代の頬に涙が流れた。あとからあとから流れ出て止まらなくなった。姉さんを殺したのは元太郎でみんなはそれを知っていた。見知らぬ浪人なんていなかった。殺した相手を誰も憎んではいなかったのだ。誰も悲しんではいなかったのだ。姉のことを思っていたのはやっぱり自分だけだった。
 さあ行くよ、と元太郎が言った。涙を流したまま千代は両脇の男に引っ立てられる。
その時、ガタリと音が鳴って隣の家の戸が開いた。
「元太郎様、千代ちゃんをどうするんですか?」
 家の中から恐る恐るそう尋ねたのは、隣の家のおばさんだった。
「千絵には恥をかかされたからね。妹に責任を取ってもらおうと思ったんだが、思ったよりも器量が悪い。どうするかはこれから思案のしどころだね」
「勘弁してやるわけにはいかねえんでしょうか?」
 その隣の家の扉が少し開いて、家の中からおじいさんが言う。
 元太郎は薄く笑った。
「勘弁? どうしてだい?」
 返事はない。
 元太郎は肩をすくめて歩き出した。千代を挟んで男たちもそれに続く。

「わからないのかい? お前のやっていることが無体だからだ」

 凛とした声に千代は顔を上げた。足を止めた元太郎と向かい合うように立っていたのは静流だった。
「誰だい、お前さんは」
 元太郎の言葉に答えぬまま、静流の姿が消えた。次の瞬間、千代の両隣の男たちが崩れ落ちる。
「え……?」
 よろけた千代は後ろから腕をつかまれた。ふり向けばそこにいたのは静流だった。いつの間に背後に回ったのだと千代は息をのむ。
 静流は千代を掴んで引っ張って、男たちと距離をとる。地面に倒れた男たちはぐったりとして動かない。
 振り返った元太郎の顔が歪む。
「こんなことをして、ただですむと思ってるのかい? 俺を誰だと思ってるんだ? 名主の息子の元太郎だ」
「私はこの辺のもんじゃない」
 静流はゆっくりと腰の刀に手をやった。
「そうだね、あんたらにとっては、ただの見知らぬ浪人さね」
 元太郎の顔が大きく歪む。辺りを見回すも、仲間の男二人は伸びている。じりじりと後ろに下がり、元太郎は逃げ出した。静流は追わずそのまま見送り、姿が見えなくなってから刀に置いた手を放した。
 助かったのだ。千代はへなへなとその場に尻餅をつく。
「千代ちゃん、大丈夫かい?」
 隣の家のおばさんが駆け寄って千代を抱きしめてくれた。他の家からも、おばさんたちが出てきて千代を囲んで泣いてくれた。温もりを感じながら千代は呆然とする。姉の葬儀の時よりみんなが優しい気がしたのだ。
「どうして『見知らぬ浪人』なんて噂がお前さんの耳に入ったんだと思う?」
 地に伏し伸びた男たちを刀の下げ緒で縛りながら、静流は千代に問うた。千代は首を横に振る。
「犯人を殺すと息巻くお前さんが、元太郎のところに行かないようにさ。いもしない人間をでっち上げることで、お前さんは守られていたんだ。みんな、生きているお前さんを守ることに一生懸命だったんだよ」
 千代は周りを見た。そして隣の家のおばさんの体を抱きしめた。おばさんはよかったねえ、と言って強く抱きしめ返してくれた。
 さて、と呟き静流は縛り上げた男二人に活を入れた。意識を取り戻した二人は暴れたが、静流が押さえつけ大人しくさせる。
「こいつらは役人のところへ連れて行くよ。元太郎の悪事を吐かせないとねえ。ああ、これは私が勝手にやったこと。お前さんたちには害が及ばないようにしておくから安心しな」
 千代は驚いて静流を見上げる。そして尋ねた。
「どうしてそこまでしてくださるんですか?」
「仇討ちは嫌いなんでね」
 静流は男二人を引っ立てて歩き出す。千代はあわてて立ち上がり、深々と頭を下げて礼を言った。

 その後、千代は隣の村へと移った。隣の村では兄になるはずだった人が面倒をみてくれ、周りの人たちも親切にしてくれる。
 元太郎には処罰が下ったと聞いた。名主さまも一緒におとがめを受けたそうだ。
 あの静流という人は何者だったのだろう。あの人がいなければどうなっていたのだろう。晴れた日に空を見上げながら、そんなことを考える。
 姉を失い日々の暮らしは大変だ。それでも頑張ろうと千代は思う。
 自分が幸せになるために。






 村を後にして半日。静流は街道を外れ森に入った。獣しか通らぬ道を身軽く進む。
「お頭」
 声と同時に木の上から降りてきたのは弥七である。気配でそれと察していた静流はすでに立ち止まっていた。
「弥七、そっちはどうだった?」
「そうおっしゃるってことは、お頭の方も手がかりなしですかい?」
「お前の方もか」
「へえ。残念ながら」
 ふむ、と静流は口元に手を当て考える。
 静流はある藩の藩主直轄の忍び集団『牙』の頭首であった。ただし、『牙』はもう存在しない。謀反を起こした藩主の弟を取り逃がし、さらに『牙』の裏切り者がその逃走に加担した。その責めを受け潰されたのだ。
 先代の頭首であった静流の父が自らの命をもって詫びたが、『牙』は解散となり静流たちは生まれ育った隠れ里を追われた。仲間たちは散り散りになり、市井の民として暮すことになった。
 それから半年。
 『牙』の最後の頭首となった静流は旅に出た。逃走した藩主の弟と裏切り者の元仲間を探す旅である。
「江戸に行くか」
 静流の言葉に弥七は頷いた。現在、藩主は参勤交代で江戸にいる。求める相手が藩主の命を狙う気ならば、今は江戸にいるはずだ。
「承知しました。あっしはやることもあるんで先に行ってますね」
「ああ、頼む。隠れ家で会おう」
「へい。お頭、十二分にお気をつけて」
「ああ」
 弥七の姿が消えた。江戸へ向かったことを気配で確認する。
 ふと、先ほど出てきた村の方を振り返る。
「ちゃんと幸せになりなよ、娘さん」
 そうして、静流は江戸へ向かって歩き出した。