航空飛行技能等訓練学校、通称『訓練学校』は全寮制である。名士の家の者もそうでない者も親の庇護から離れ厳しい訓練を己に課し、パイロットを志す。
とは言えやはり長官の近親者である苗字持ちとそうでないものが同じ部屋になることはなく、ネモ長官の甥であるキョウと同室になった五人はいずれも苗字持ちだった。
苗字持ちともなれば、学校卒業後はパイロットとして活躍できる可能性も高い。他の五人はいずれもプライマリースクールから二年早くプレスクールに編入している。二年早く訓練を初めているからこちらとは筋肉のつき方からして違う。早い話、入学から一ヶ月たつがキョウは訓練についていけていなかった。パイロットになりたいという意志がないこともその理由の一つであろう。同室の彼らと違ってキョウがここに入ったのは他にやることが思いつかなかったからである。
訓練が終わって就寝時間までの貴重なひと時。寮のベッドに寝っころがってキョウはボンヤリと天井を眺める。明日は週に一度の休日だ。
何気なく横を向くと同室のミナトの背が目に入る。部屋には二段ベッドが三つある。キョウは入って右側奥の下の段、ミナトは左側奥の下の段だった。同期の中の誰よりも背が高く横幅もしっかりとあるミナトはその貫禄から上級生に間違われることもしばしばである。いくら食べても肉がつかないキョウにとって羨ましいことこの上ない。
そのミナトが鼻歌を歌いながらごそごそと何かをやっている。こちらからでは見えない。視線に気づいたのかミナトは振り返って笑った。
「見るか?」
「何を?」
起き上がって差し出されたものを受け取る。それは写真立てだった。家から送ってもらったのだという。
そこには一枚の写真が貼られていた。ミナトを見ると彼はニコニコと写真を指差す。
「この子は妹のミサキじゃ。どうじゃ、可愛かろ。けど残念ながらミサキにはもう婚約者がいるんじゃ。これがナギサ。双子の弟で医療系に通っとる。将来は医者じゃ」
その後ろに写る大人二人は両親らしい。
十二歳にもなれば『家族と一緒』が嫌なはずなのに、彼はうきうきと家族のことを喋り続ける。ミナトだしな、とキョウは自分で納得した。彼は実際変わっている。喋り方もおっさんくさいし 一人称は『ワシ』である。最近意識して『オレ』に人称を変えたキョウとは次元が違う。
同室の一人が呼びに来た。みんな集まっているから来い、と言う。
さて、訓練学校は男子と女子に別れている。体力の違う男女では訓練のメニューが異なるからだ。住んでいる場所も別で間違えが起こらぬよう両者は高い塀に区切られていた。
その高い塀の前に同じ部屋の面子が集まっている。これから女子寮へ忍び込むと聞いてキョウはため息をついた。
「何でまた」
今週の訓練は終わったのにこれ以上疲れることをしなくてはならないのか。
口の中で呟く。真面目だとからかわれることが目に見えていたので声には出さない。場の雰囲気はすでに行く方向に固まっている。女子側への無断侵入が見つかれば、精神を鍛え直す訓練という名の厳しい罰が待っているにもかかわらず、である。
行くなといわれれば行きたくなるのが人間の心理ということか。げんなりしながらキョウは隣にいるミナトを見た。ミナトは嬉しそうに塀を見上げている。女子寮に侵入するのがそんなに嬉しいのかと思ったら、この高い塀を越える方法を見つけたので喜んでいるのだそうだ。やはりこいつは変わっている。
その言葉には同室の他の四人も喜んで、ミナトに先に上ってくれるように頼んだ。ミナトは少し離れた場所にある木にするすると上り、そこを足がかりに塀の上にたどり着いた。素直に感心したキョウたちは塀の上の彼に手を振る。
ミナトがとりつけたロープを伝ってキョウたち五人は塀を上がり、別のロープを垂らして女子の敷地に降り立った。
「降りて来いよ」
上でロープを軽く支えてくれていたミナトに同室の一人が声をかけた。
その時。
「侵入者発見」
ギクリと身を強張らせたキョウの足先ギリギリ1センチ前にダンッと何かが突き刺さった。微かに振動するそれは木の枝。
「うわ」
「ヤバ、逃げろ!」
ペタンとへたり込んだキョウを尻目に他の面々は塀を登っていく。おい、と慌ててキョウも立ち上がろうとするが目の前に棒が突きつけられ動きを止められる。
棒術。知識として知ってはいるが、本物を見たのは始めてであった。
「規則違反です。学年と名前を言いなさい」
棒を突きつけていたのはキョウのものとよく似た服を着た女の子だった。頭の後ろで纏めた髪が揺れている。
背の小さな女子学生。引き締まった顔つきは凛々しい。
「学年と名前を言いなさい」
同室の人間たちは退散してしまっている。くそっ、とキョウは内心で吐き捨てた。
「学年と名前を……」
「まあ、待つんじゃ」
ストンと隣に誰かが着地した。声を聞けばわかる。ミナトだ。
「……何で来たんだよ」
思わず小声で尋ねる。ミナトは塀の上にいたはずである。逃げようと思えば一番に逃げられたはずだ。
「ワシらは同志じゃろ。仲間は見捨てんよ」
キョウは押し黙った。無表情にこちらを観察している女子学生にミナトは言う。
「こいつはワシらが無理やり連れてきただけじゃ。勘弁してやってくれんかの」
「複数形で言うけれど、貴方のほかに人はいないわよ」
「ま、あいつらもワシがおらんかったらこの塀は越えられんかったし、見逃してやってくれ」
キョウに突きつけられている棒が少し揺れた。ミナトの理論についていけずに戸惑っている。
「貴方が一人で罰を受けるって言うの?」
「そうなるの。ワシは一年のミナト・ルエじゃ」
「一年……? 本当に?」
視線を向けられキョウは思わず頷いた。女子学生はミナトに視線を戻す。
「苗字持ちだからと言っても贔屓はされないのよ」
「もちろんじゃ」
「理解に苦しむわね」
ズバズバ言う子だ。
しかし、彼女の気持ちもわかる。積極的に罰を受けたい人間なんているわけがない。
キョウは小さく手を挙げ二人の注意をこちらに向ける。ミナトばかりにカッコいい真似はさせられない。
「オレは同じく一年のキョウ・カレイラ」
女子学生は呆れたように首をかしげ、ミナトは笑った。
「お人よしにもほどがあるぞ、キョウ。お前さんの体力じゃ教官からの罰をこなせるかどうか微妙なとこじゃ」
「お前に言われたくねえよ」
「馬鹿じゃないの」
女子学生はため息をついて棒を引っ込める。教官を呼びに行く様子はない。
キョウはゆっくりと立ち上がった。ミナトは地面に突き刺さっていた枝を引っこ抜く。
「女子は棒術も習うんか。いいのう」
「ここはパイロットを養成するための学校よ。私の家が護身用の道場をやっているから、そこで覚えたの」
「それはすごいのう」
「そのお陰で塀を乗り越えてくる馬鹿な男子がいないか見回りをさせられているんだけれど」
キョウは思わず肩をすくめる。ミナトは笑って枝を女子学生に返した。
「毎晩とは大変じゃの」
「週一よ。毎晩もやってたら体がもたない」
受け取った枝をポイと捨てる。棒でトントンと肩を叩き彼女は言った。
「二度目はないから」
踵を返して歩いていく。見逃してくれたのか、とキョウはミナトと顔を見合わせた。
「名前、教えてくれんかの」
ミナトが彼女の背中に声をかけた。
「リィよ。貴方たちと同じ一年だから演習で会うこともあるかもね」
振り返らず、彼女は歩いて行った。
一週間後の夜、キョウはミナトに叩き起こされた。上級生から手紙を渡すよう頼まれたので女子寮に忍び込もう、と彼は言う。先週の実績を買われたらしい。
「二度目はないって言われなかったか」
「大丈夫じゃて。今度は別の場所から入るからの」
それに、と笑ってミナトは付け足した。
「あの女子学生の目を盗んで忍び込む。いい訓練になりそうじゃ」
変な奴だな、と思う。変な奴だけど憎めない。キョウはベッドから抜け出した。彼が行くなら自分も行く。
二人がリィに呆れた顔をされるのはその十分後のことである。
Fin